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2006年 01月 23日
お気に入りでお付き合いさせて頂いているh けせらちゃんのブログより
『○○と私』というバトンを暗に受け取る様にとの御依頼に、見ザル聞かザルの姿勢を貫く所存でしたが、その無言の要望に屈して書かざるを得ない状況になり、遅れ馳せのUPとなりました(笑)。 けせらちゃんは、『建物と私』を望まれていましたが、我々建築家では建物と建築では大違いでして、勝手に建物を建築とさせて頂きました。 従いまして = 『建築と私』です = 専門的な話になり、お分かりになりにくいとは思いますが多少でも雰囲気が判って頂ければ、建築界にとっても姉歯問題で信用が失墜している現在(笑)、何がしかの信用向上に繋がれば良いと思っています。 === Q1.パソコンの中に入っている『建築と私』 === パソコンの中には、自分の設計した建築しか入れていません。ほぼ全仕事が入っていますが、他の人が設計したものは入れていません。 決して自己中ではありません。ただ必要が無いだけです(笑)。 === Q2.今、妄想している『建築と私』 === 現在今まで設計した事の無いテラスハウス(あるいはリゾート・マンション)の設計に没頭しています。出来れば、そこを訪れた女性が「もう一度恋をしたくなった」と言わせるような建築を創りたいと考えています。 これはもう、一種の妄想かもしれませんね(笑)。 === Q3.最初に出会った『建築と私』 === 『鉄腕アトムの御茶ノ水博士の家』 手塚治虫 著の漫画の中でした。 中学生の頃、何を思ったか突然自分の家を設計したくなりました。 その時に参考にさせて頂いたのが、御茶ノ水博士の家だったと思います。今おぼろげながら思い出すと、確か鉄筋コンクリートの建物で2階建てで地下室があり、円形の間取りで1階よりも2階の方が小さな円形で水平線を強調したような住宅であったと思います。全体の雰囲気が素晴らしいのに比べ地下室への下りる階段がどうも気になり、自分もこんな家が持てたらと設計し始めたような記憶があります。簡単な平面図・立面図・断面図を書きました。この御茶ノ水博士の家が、僕にとって最初に建築として認識した建物だと思います。 その頃当時、鉄人二十八号も流行っていましたので、僕も影響されて、当時原子力潜水艦などまだ詳しく知りませんでしたが、自分でも素晴らしいと思えるほどの原子力潜水艦の絵を書いたりしました。 この絵が紛失した事は、僕にとって生涯の悔恨を残しそうです。(笑)今でもやはりぼんやりと覚えているのですが・・・。 実際の建築を見て感動したのは、修学旅行で見た京都の'''金閣寺'''と二条城の紫辰殿が初めてでした。その後、女人高野で知られる室生寺の金堂や厳島神社等の古典建築が好きになりましたが、現代建築で言えば、丹下健三の東京カテドラルや白井晟一の浅草・善照寺には、言いようの無い感動を覚えました。二条城を除けば、全てが宗教建築ですね(苦笑)。 === Q4.特別な思い入れのある『建築と私』 === これは幾つもありそうですが、総じて白井晟一氏設計の一連の建築としたいです。 主に『呉羽の舎 』 白井晟一設計の富山県呉羽に建つ住宅です。 普通の建築材料では見た事の無い栗材でほとんどが作られていて、その素晴らしさに圧倒されましたが、以後建築界では栗材が多用される様になりました。 白井晟一は海外の大学で建築ではなく哲学を学んでいますが、建築の設計では西欧での長い生活体験から様式建築を学び、それに日本の禅とを融合したと謂われています。専門誌に発表された建築への説明文も哲学の雰囲気があり格調高い文章ですが『縄文的なるもの』・『プリミティブ』等の専門界で流行った言葉などもあります。 氏の話を書けば、紙面が何枚あっても足りませんのでブログでは難しいですね。ここら辺で・・・。 そう言えば、こんなエピソードを一つ。 白井晟一と評論家の草柳大蔵との対談で、草柳が「ピカソは80歳になって画風が急に変わって来ました。どうも、80歳で男が上がったようですね」と言うと、それを聞いた白井晟一は「80ですか?ちょっと早いようですね。もうちょっと行けるでしょう」と言う。 僕はこの話が大好きで、ベートーベンが好きでひたすら重い建築を創ったこの偉大な建築家も78歳で逝き、男が何歳で上がるのか知らぬまま黄泉の国へと旅立って行きましたが、正に巨星落つと言う感じでした。 僕は恥ずかしい話、その三日間涙が止まらず泣き濡れました。丁度書いていた全紙大の建築のドローイングが仕上がったので、白井晟一氏に会って見てもらおうと考えていたので、それも未遂に終わり余計に悲しかったのです。 思い出せば、いろんな事がありました。 === Q5.バトンを回したい人とそれぞれのお題 === けせらさんと同様、自分から回すのは控えます。 もし答えてみようかな?。。。と、いう方がいれば。。。(この文章は、矢野さんの写しです。悪しからず) 「ワインと私」←は最初のけせらさんです 「建物と私」←は僕が担当 「小説と私」←次に矢野さんが担当してくれました 「食と私」 「花と私」 「インテリアと私」←その次にK'Sさんが担当してくれました 「音楽と私」 「家族と私」 「海と私」 「愛と私」 「ブログと私」 「修行と私」←は会計士の こじょうさんが担当してくれました 気に入った方は、自由に持って行って下さい。内容は適当に変えて頂いても良いのではないでしょうか。 === Q6.番外編 『建築を何故選んだか』 === ある日大学へ行こうと決意した時には、すでに建築科へと決めていました。 大学へ行って判った事ですが、ほとんどの人が絵が好きで建築を選んでいました。まれにお父さんが建築関係の仕事だったからと言う者も居ましたが、僕は絵が大の苦手で、父も国家公務員でしたので凡そ建築とは無縁でした。そんな僕が、何故建築を選んだのだろうと思いますが、僕は天命だと思っています。こう書けば素晴らしく格好良い訳ですが、僕にとっては最大の苦難の道だと思われてなりませんでした。誰よりも苦労してやり遂げよと言うのが天命だと思ったのです。 絵は一番苦手なものでしたし、建築に必要な絵画の才も無く、第一嫌いで嫌いで仕様が無かったのですから・・・。それで、最初は構造の方に進もうと思って勉強していましたが、段々構造の美しさが判るようになり、その美しさのある建築が設計できたらと言うのが設計に進んだ最初のきっかけでした。 一番苦手なもので仕事をしなければならないと言う事は、常に負を背負い,、人並み以上に努力せよと言う事だろうと思い、誰よりも時間を掛けて才能の無さを補うつもりでやって来ました。 毎日絵とは違う図面ばかり鉛筆を動かして何年も書いているうちに、絵も何とか人並みに書けるほどになりましたが、これからのCAD社会だと、そんな事も難しいでしょうね。残念ながら。やはり、手を動かさないと・・・。 しかし、才能の無い人間でも頑張れば普通に出来るようになるのだと、自己の才能に疑心暗鬼になっている方には多少なりとも勇気が湧いて来たのではないでしょうか? 大分長くなってしまいましたが、お付き合い頂きありがとうございました。よろしかったらコメントをお願いします。 このバトンを用意して下さった けさらちゃん、 矢野さん、 ケイさん にお礼申し上げます(笑)。
by kobayashieiji0011
| 2006-01-23 14:10
| バトン
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