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1 2005年 08月 17日
以前信州に住んでいた頃の話です。
雪解けも終わり、春先になって埼玉に住んでる友人を訪ねた時、ご馳走になったサトイモがとても美味しく僕の好物だと告げると、友人は自分の所で作ったものだからと「帰ったら植えると丁度良いよ」と、お土産に種芋を持たせてくれた。僕はたいそう喜んだが、信州では春に植えた物が無事育っても種芋として冬を越すのが無理だろうなと思いながらも、その事を解決できれば毎年美味しいサトイモが食べられるかも知れないと、その方法を考えながら車を運転して信州へ戻って行った。帰り道は長く、車で丁度2時間位かかる。そのうち考えることに疲れ、好きな音楽を聴きながら自宅へと急いだ。事故も無く、スピード違反で捕まることも無く無事帰り着き、短かった友人との会話や楽しかったこと等を思い出しながら、新たな仕事に没頭した。今までやったことの無い新しい試みの設計に心血を注ぎ、その設計もようやく目処が付きかけた頃、埼玉の友人から電話が入った。「もう秋になるのでいくら信州が寒くても、もう出来た頃だろうと思って電話した。美味しかったかい?」と話していたが、私には何の話だか分からず、一体何の話をしてるのかと訝しげに聞き返すと、春にあげたサトイモだよと言われて初めて気が付き、そうだったと慌てて車のトランクを開けてみると、なんとダンボールの箱の中でそこら中に根を生やしたサトイモが現れた。びっくり仰天し、残念だがこれではもう使い物にならないなと捨ててしまったので、埼玉のサトイモが信州で育つかどうかは未だに不明だが、しかしこんな物忘れは初めてで、車のトランクに入れて目に触れなかった事が原因だと思われるが、そのことが起因してか、自慢ではないが以後物忘れのオンパレードとなった。 それから何年か経ったある日、家人が私の両親に送るよう信州産のりんごを一箱買ってきたので、仕事の帰りでも良いから駅に寄って送ってきてよと頼まれ、軽く二つ返事で請け負った。それから何日か経って女房が「おかしいわね。別府から何にも言って来ないんだけど、りんご、ちゃんと送ってくれた?」と聞くので「確かに送っといたぞ」と答えたが、その後も何とも言ってこないので私もおかしいなと思い、母に電話して送ったりんご美味しく無かったのかいと聞くと、まだ着いてないと言うので「おかしいなそれじゃ送った駅で調べてもらうよ」と言い電話を切った。 翌日送った駅に行き、別府までりんごを送ったんだけど先方に着いてないようだから調べて欲しいと頼むと、送り状の控えはありますかと聞かれ、何処かへやったみたいで手元に無いんですよと言うと「分かりました、こちらで調べてみましょう」と言い、何日位前でしたかと聞くので、丁度一ヶ月ぐらい前の月曜日でしたと答えて、送り状を調べてもらったが見つからないと言う。それを聞いた私は、送り状を私が亡くすのはともかく駅に記録が無いとは何たる事だとカンカンになって怒り、駅長を呼べと言い、そばに呼びつけて散々叱り付けた。ひょっとすると、近くにもう一つの駅があるので、万一と言うこともあるのでそちらで確認してもらえないかと言う駅長に、確認するが私はこの駅で送った記憶があるんだと息巻いた。そしてもう一つの駅で尋ねてみても、やはり無かった。家に帰り、家人に「駅で調べてもらったがこちらで送った送り状すら無いんだ」とんでもない駅だと愚痴ると、いつだったか、あなたはサトイモを車のトランク中で芽を吹かせた経験があるので、念のためトランクを調べて見たらどうかと言うので、またまた腹が立ち、俺はちゃんと送った記憶があるんだと言い、そんな所にあるわけ無いだろうと言いながらトランクを開けると、チャッカリそこにはリンゴ箱が腰を据えていた。そんな筈は無い!確かに○○駅で送った記憶があるんだ、それが何故こんな所にあるんだと叫んでみたくとも、もう口の中でモグモグ言うだけで言葉にならなかった。こうなるともう笑い話では済まされず病院へ行ったほうが良いのかも知れないが、そうそう頻繁に有る訳じゃなし、おかしいぞ何かが変だと思いながらも、まあいつも私の記憶力の良さは友人達が舌を巻く程のものだったから、きっとあの時は疲れていたんだろうと月日が経つにしたがって、それも忘れてしまった。 その後、何事も無く何年か過ぎたある日、PTAで一緒になった人が「その節は大変お世話になりました」と言う。こちらには全く覚えが無い人なので誰かと間違えたのではないかと言うと、倉庫の確認申請を頼んだではないかと言う。そう言えば何年か前に、建築の確認申請を取ってくれという依頼者が現れた事があった。私は代願屋ではないので適当な設計事務所を紹介して上げますと言い、その地域で一番大きな設計事務所を紹介したが、何日か過ぎてまた尋ねて来られ、紹介してもらった事務所から忙しいからと断られたそうで、何とかならないだろうかと再度頼まれたので、渋々人助けだと請け負う事にしたものだった。その事を喜んだ依頼者は是非家へ寄ってくれと言い、大層お酒やご馳走を振舞ってくれ、喜びも一塩なのだと言うことがこちらに充分伝わったので、頑張って早々と申請を下ろすことに専念した。その結果、早い認可を喜んでもらえ報酬も頂き無事仕事も終わった。そんな事があった事をはっきりと覚えているが、それが誰だったか、いやどんな顔をしていたのか全く覚えが無かった。伺った場所と部屋のインテリアや、壁に掛かっていた写真などと一緒にご馳走になった物までも思い出すんだが、もてなしてくれた当人の顔をどうしても思い出すことが出来なかった。私が覚えていないと言う言葉を、大した仕事ではなかったので冗談で言っているのではないかと思ったようだが、再度本当にあの倉庫の依頼者ですかと訪ねると、あきれた顔をして離れて行ってしまった。 どうも私は建物という物を相手にしているせいか、人に関する事や名前を覚えるのがとても苦手だ。昔のことだが電話番号などは一度で覚えてしまう事が良くあり、数字には強かった。だが今は携帯電話などになり、番号が記憶されていて覚える事がなくなったせいか、お蔭で数字の記憶だけではなく全てに弱くなってきたようだ。その後、ちょっとある人を忘れてしまった事が一度あったが、他に何事もない日々が続いている。 話は変わり、今年父は9月で丁度卒寿の90歳になり、母も85歳で健在だが、父はすでにもう自分が何者かが判らない。一度も物忘れをした事が無かった自分が最近物忘れをしたと気に病んでいた頃から、徐々に忘却が進んでいった。もう忘れるものは何も無いという位までになったが、かろうじて母の事と、私が心血注いで設計した家に住んでいたその家だけを覚えているようだ。 何も私の物忘れを父のせいにする訳ではないが、血は確実に受け継がれているという実感が私の気分を 重くする。 ▲
by kobayashieiji0011
| 2005-08-17 22:27
| エッセイ
2005年 08月 16日
少々まともに運転できる女性のドライバーでも、バックになると途端に苦手になる人が多い。後ろ向きにハンドルを操作すると、どちらにハンドルを切って良いか、頭がこんがらかってしまう様だ。男性ではまずそんなことは無いと思うのだが、得て不得手が性の違いで出てくるようですね。こんな事もありました。僕の友人の女性が運転する車の助手席に、女性の友達を乗せて買い物に行った時、助手席の女性がバック・オーライ、オーライと言う掛け声に少しずつバックして行くとガシャンと何かにぶつかったそうです。何で後ろを見てもらっているのにぶつかるんだよと言うと、どうやら二人で同じ方向を見ていたらしい(苦笑)。私は、聞いていて言葉を失った。すべての女性がそうでないにしても、どうもバックが苦手らしい。しかし、こんな事もあります。以前僕が付き合っていた女性の話で恐縮だが、その人は営業マンで始終車で移動していたそうで、運転暦十何年と言うベテランだった。
ある日、二人別々の車でどこかへ行った時の話だが、犬も食わない喧嘩をしてしまって、怒った彼女は車に乗り砂煙を上げて帰ってしまった。追いかけようと私も車を出したが、中々追いつかない。ようやく高速道路に出たのでここで追い越せると高をくくったが、逆にグングン差を付けられてとうとう見えなくなってしまい、悲しい思いをした事がある。こう書くと、人は車の性能の違いだろうと考えるでしょうが、彼女が乗っていた車はカローラ1500で、僕の車はスカGターボ2000だった。悲しいでしょう?男性なら分かってくれると思いますが・・・。しかし、男の癖にだらしが無いなんて言って欲しくないですね。その時の僕の車は時速170Kmは出ていたんですから。こういう人も居ると言う事は、一種の慣れの問題かもしれませんね。男女で多少時間の掛かり方が違うだけかも知れません。 あるいは、こんな話も聞いた事があります。危機に直面した時、頭がパニックになりどうしたら良いどうしたら良いを連発し、事故る直前には女性はハンドルから手を離してしまい、両手を挙げて万歳する人が居るそうです。又ぶつかる直前に男性とは逆に、本能的に両足を内側に閉じるそうです。その事が、事故を悲惨にすると言う事を聞きました。この話は、本能とは言え可哀相になりますね。充分気をつけて運転してもらいたいものです。 ただ今TVでは日本女子バレーがアメリカを3対1で勝ったところです。選手の皆が良い顔をしていて、とても魅力的ですね。この後も頑張って欲しいですね。 ▲
by kobayashieiji0011
| 2005-08-16 20:58
| エッセイ
2005年 08月 16日
先週久しぶりに映画を見ました。
ノミ・ソングと言う映画を、ブログで教えてもらい見たものです。渋谷のイメージフォーラムと言う所で見ましたが、この映画館は以前、知人がクロエと言う映画に出演したと言う事を聞き、その映画を見に行った映画館でした。建物全体がコンクリートうち放しで出来たシャレた映画館です。主にアートシアター系の映画をやっているようですが、宮益坂を上ってガソリンスタンドを過ぎた右側にちょっと入ったところにありますので、皆さんも一度行かれたらどうでしょうか? クラウス・ノミという人は全く知りませんでしたが、子供の頃からクラシックのオペラが大好きだった人らしく、80年代のニューヨークのロック界のニューウェーブでは最も人気があった人のようです。歌声がマリア・カラスのような澄んだソプラノの声の持ち主で、ロックにクラシックのオペラを取り入れて見事に融合させたと紹介されています。また、ステージでの格好も奇抜で、広く奥まで剃り込まれた額に歌舞伎スタイルのようなメイクの目と、真っ黒な口紅で化粧を施し、まるで宇宙人のような格好での登場でした。彼がステージに立つ時、ビートルズの時と同じ位ファンが押し寄せ熱狂させたようでした。そんな彼もエイズに冒され39歳と言う若さで亡くなり、著名人での第一号のエイズ患者になったようです。当時、まだエイズに関する知識があまり無く、誹謗中傷や伝染するかも知れないとの恐れから誰も見舞いに来ず、寂しい最後だったようです。しかし映画の最後の部分に、グループのメンバーの一人が子供を連れてきていて、その子がノミに「あなたは宇宙人なの?」と聞き、ノミがまじめに「そうだよ」と答えているのを見ると、確かに一時期にせよ人々に未知への夢と希望を持たせて居たんだと思わずには居られませんでした。 ▲
by kobayashieiji0011
| 2005-08-16 20:36
| 私の映画
2005年 08月 09日
いつも常盤台小学校の前を通って駅に向いますが、日曜日の午前中は、いつもその体育館の2階で剣道をしているらしく、子供の黄色い声と共に竹刀のぶつかり合うシャンシャンと音が聞こえてきて、いつも心が和む気がします。2階でやっているので直接目にすることは出来ませんが、赤胴鈴の助よろしく胴着を付けて頑張っているのかと思うと、まだまだ日本も捨てたものじゃないなと僕は嬉しい訳です。正直、今の小学校で剣道を教えているとは思っていませんでした。少しずつ武士道の精神も受け継がれていくんですね。
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by kobayashieiji0011
| 2005-08-09 21:24
| 私の日記
2005年 08月 09日
こうも毎日傘を持って歩いていると、ついつい日常の不満が募って来ます。
傘の先はいつも前に向けて持ってもらいたいですね。昨日も今日も危ない目にあいました。昨日は階段を上っていると前の男性が傘の先を後ろに向けて持ち、手を振るたびに危ないのだが、まあ振りが小さいので安心していたら、急に大きく振ったりして目の前に突然傘の先が見えて思わず手で振り払い「危ないな!」と言うと素直にすみませんと答えてくれたが、顔や目に当たって謝る前に持ち方を気をつけてもらいたいものです。大した事故にはならないとは思いますが、歩行に不安が伴いあまり良い事ではありません。 また傘の持ち方が男性と女性とでは多少違うような気がしますね。僕は身長174Cmで多少高めなので、低い女性の傘を避けるために高く持ち上げたり、右へ左へと傾けてぶつかる事を避けています。ほとんどの男性はそうしているように見えますが、逆に女性は男性が避けるのを待っているのか、手に持った傘の状態を維持するかのように真っ直ぐに歩いてくる人が多いような気がします。まあ全員ではありませんが・・・。その為に、こちらが避けなければほとんどぶつかってしまいます。まあ、こちらは単なる愚痴ですが・・・。 ▲
by kobayashieiji0011
| 2005-08-09 21:22
| いやな奴
2005年 08月 01日
昨日の帰りの電車の中での話です。
電車が駅に入るたびにブレーキが掛かり、前の人にオットットッと寄りかかるようになったが、前の人がそれを嫌いオットットッとなる度に、寄りかかるなと肘でしっかりガードしていた。見ると足元にはリュックサックのような物を股で挟んでいたので、動きたくなかったようだが、こちらとしたら後ろの女性からの寄りかかりでガードしきれず、前のめりになって前の人にぶつかった訳だが、肘が私の鳩尾に食い込み痛いのなんの。「お前ナ、俺を責めてどうするんだ。こっちだって後ろの人をしっかりガードしてるんだぞ」と言いたい気持ちはあるが、とうとう言い出せずブログに書いて鬱憤を晴らす事にしました。思い起こせば、そんないやな奴の話は、ずいぶん沢山ありそうだと書庫を設けました。本当言うと増えないほうが良いかもしれませんが、自分がそうならないようにとの戒めとして書いてみたいと思います。 ▲
by kobayashieiji0011
| 2005-08-01 23:32
| いやな奴
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